芸能

「責任感が強くて、弱音を吐かなかった」國村さんの言葉

『ボクらの時代』で春馬くんの話を引き出してくれた國村さん。
優しい先輩ですね。
柳楽さんと國村さんで春馬くんの話をした後に3人とも口をつぐんで、
國村さんがうつむいていらっしゃる様子が印象に残った。
1年経っても、辛くて無念だろう・・・
ファンも私も、みんな同じだ。

やけに爽やかにCMに入って終了してしまったけれど、
あの後、柳楽さんは「國村さんは?」と聞かなかったんだろうか?
聞こうとしたけど聞けなかったのかな?などと
最後のシーンの余韻が残ったままだ。

『太陽の子』明日公開。

私はもう少し時間をもらおうと思う。

春馬くんが15~16歳の頃『チルドレン』の共演から
『進撃の巨人』を経て『太陽の子』と3度の共演をした
國村隼さんから見た春馬くん。

「責任感が強くて、弱音を吐かない」

圧倒的に濃厚な生き方をした春馬くんを心から尊敬します。

(引用掲載)
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1周忌 國村隼が語る三浦春馬「責任感が強くて、弱音を吐かなかった」

 俳優・三浦春馬(享年30)が昨年7月18日にこの世を去ってから、まもなく1年を迎える。生前の三浦と共演を重ねてきた俳優・國村隼(65)が「週刊文春」の取材に応じ、在りし日の想い出を振り返った。

 1981年の映画デビュー以来、映画や舞台、ドラマなど幅広く活躍している國村。「ブラック・レイン」「ミッドウェイ」など海外作品にも出演してきたベテラン俳優だ。

その國村が、初めて三浦と共演したのは、2006年公開の映画「CHiLDREN チルドレン」だった。

「初めて出会ったのは、彼が15~16歳の頃だと思います。親子愛がテーマの映画『チルドレン』で一緒になったんです。当時からちゃんと心情的なところからスッと入ってきて、『素直なお芝居をする子やなぁ』という印象でした」

  2015年公開の映画「進撃の巨人」でも2人は共演。三浦は主人公・エレン、一方の國村はオリジナルキャラクター・クバルを演じ、物語では両者が対峙するようなシーンもあった。

「ガッツリ一緒にやりましたね。僕が初日に入った時、彼は『2日前、高いところに吊り下げられて大声で叫ぶシーンを2日間撮ってたんです。そしたら声が出なくなっちゃって』と笑って挨拶してくれた。はにかんだような表情が彼らしいと思ったし、撮影現場では非常にストイックでもありました」

 クランクアップの時には、「座長として何もできなくてすみませんでした!」と謝る一幕もあったという。

「『謝る必要なんてない、よくやってるよ』ってみんな思ってるんだけど、彼の中では『まだまだ足らない』と」

生で観てみたかった「キンキーブーツ」

 一方で、國村が「あの演技は本当にパワフルだった」と挙げたのが、2016年に上演されたミュージカル「キンキーブーツ」。同作で三浦はドラァグクイーン役を熱演し、大きな話題を呼んだ。

「あの作品は映像でしか観ていないのですが、その時、本当に驚きました。映画やドラマでよく知っている、仕事で一緒になる、三浦春馬とは全く違う一面をみたんです。私の知らない、撮影現場とは全く違った声で歌いながら、強くて、しかも華麗な姿で踊っていました。一瞬で人を魅了するような舞台俳優で、その時は一度、彼の舞台を生で観てみたい、と思いましたね……」

 8月6日には、三浦にとって“最後の作品”となる「映画 太陽の子」が公開される。同作は原爆の開発を命じられた科学者の苦悩を描いた物語で、三浦が演じたのは、京都帝国大学に籍を置く科学者・石村修の弟で軍人の裕之だ。國村は、戦場に向かう学生たちに研究室に残るよう促す荒勝教授を演じている。

「彼は、キャラクターの痛みを三浦春馬として感じ表現するタイプ。自分が表現する役柄と、三浦君自身との“共鳴作用”が大きかったのではないでしょうか。非常に深く、真実味のある演技でした」

 三浦の突然の死から1年。國村が改めてこう語る。

「自分の心情を吐露できるような相手、ちゃんと甘えることができるような相手がいれば、ずいぶん色んなものが変わったんじゃないかなと……。責任感が強いがあまり、弱音を吐かなかった、いや、吐けなかった、ふと、そんなことも思います」

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春馬くんはやっぱり魅力的な人だー!
デザイナーの丸山さんのインスタから。(2021年7月18日)
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Source: 大切なことはすべて春馬くんが教えてくれる